鍵型道路、薬医門、大師堂、銅鐘… 運命とご縁から 様々なものがたどり着いたお寺 | Walk @round Miyoshi(みよし観光まちづくり機構公式ウェブサイト)

鍵型道路、薬医門、大師堂、銅鐘… 運命とご縁から 様々なものがたどり着いたお寺

お問い合わせフォームへのリンクボタン

spot

鍵型道路、薬医門、大師堂、銅鐘… 運命とご縁から 様々なものがたどり着いたお寺

Pocket

浄土宗 天光院吉祥山 三勝寺(さんしょうじ)

住所/広島県三次市三次町1157 □TEL/0824-63-4340

三次町の太歳通り(ださいどおり)にある鍵型道路。まるで行き止まりのように見える道の正面に、三勝寺があります。

三勝寺の山門は、三次藩主の浅野家の家紋が入り、しかも表裏が反対。山門を入った目の前には真言宗の太師堂があり、その隣には商売繁盛のお稲荷さんまである。そんな一見、不思議がいっぱいの三勝寺は、三次の歴史の移り変わりの中で、沢山のご縁と地域の人たちとの共存を大切にしながら、脈々と受け継がれている、歴史あるお寺です。

1536(天文5)年の室町時代、三次市東酒屋にあった旗返しの城のお殿様、松尾長門守三勝(まつおながとのかみみつかつ)の菩提寺として建てられました。今も三勝のご位牌は、480年以上前のまま、大切に守られています。
後に現在の尾関山に居城を構えていた尾関正勝(おぜきまさかつ)と親類のご縁があり、三次町のへ移転。さらに、1632(寛永9)年に三次藩の初代藩主浅野長治の館を建設するために、現在の場所に移っています。

現在の場所に移る時の浅野長治の気遣いはとても厚く、山門、銅鐘、聖徳太子の厨子(ずし)、浅野長治のお母さんのご位牌などが贈られました。
これらは、それぞれに不思議な歴史をもって三勝寺へやってきたことで、今もお寺や歴史好きな人たちの興味を引いています。

【薬医門(やくいもん)】
矢をくいとめるという意味が込められた、武家仕様の門です。元々は、比熊山城のお城の門として建てられたもので、三次浅野藩の初代藩主、浅野長治が三勝寺をこの場所に移す時に贈られました。お寺の山門とは造りが違うため、裏返しに立てられています。目の前にある道は鍵型道路という、行き止まりに見せるために作られた道で、この山門は今もその先に道が無いように立ち、歴史を風化させない存在になっています。

【大師堂(たいしどう)】
浄土宗の三勝寺に、なぜ真言宗の大師堂が?と疑問に思われる方も多いこの大師堂。その昔、この場所に大師堂を祭ると、商店街を守ってくれると言い伝えられ、三次町の真言宗のお寺である吉祥院から移されてきたそう。今も地域の方たちによって大切に守られ、そして商店街を守り続けています。

【銅鐘】
南北朝時代に作られたとされる銅鐘は、もともとは今の兵庫県神崎郡市川町の護聖寺に奉納され、後に山口県の周防大島町という島の志駄岸八幡宮に奉納されたことを記す銘が2つ彫られています。陸から海を渡り、また内陸へ戻ってきた数奇な運命を持っているこの銅鐘は、広島県と三次市の重要文化財に指定されています。

天井の文字は、檀家の方から頼まれ、前住職の弥法さんが直筆で書かれたもので、お経の中でもとても大切な言葉を選ばれています。ぜひ書いて欲しいと言われた方も、大切な文字を選び書かれた弥法さんも、お寺への想い、お参りをする方たちへの想いを込められて出来た、迫力のあるめずらしい天井です。

住職が着ている七条袈裟(しちじょうけさ)は、一枚の大きな四角い衣で、パッチワークのように四角い布が縫い合わされています。その一つ一つが田圃を表していて、お釈迦様は「みなさんの心を耕している」という思いが込められているそう。住職のお名前が耕田さんであることも、運命とご縁が脈々と受け継がれていることが分かります。

今、女性の住職が3代続いている三勝寺。女性らしい細やかな所作や、穏やかな話し方に接していると、自然と心が安心で満たされるような、優しくあたたかい空気を持つお寺です。

Information

スポット名 浄土宗 天光院吉祥山 三勝寺(さんしょうじ)
所在地 広島県三次市三次町1157
電話番号 0824-63-4340