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三次の町で一番古くから残り、守り続けられてきたお寺

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三次の町で一番古くから残り、守り続けられてきたお寺

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真言宗御室派 結城山吉祥院

住所/広島県三次市三次町1059 □TEL/0824-62-3682

承和元年(834)年に弘法大師の勅命により秦氏の支援により803年に開基、834年に行基した1200年以上続く三次町で一番古いお寺です。
比熊山の南側ふもとにある境内には、斜面に作られた階段に、四国八十八カ所の砂が埋め込まれていたり、三次町の眺めが絶景の太子堂などがあり、信仰と三次町の歴史の深い関りを体で感じることができます。

現60代住職の小早川受黎さんは、F3レーサーとして中学時代に日本代表で世界大会へ出場したことがある、異色の経歴を持つ活動的な方です。「突然に住職の代を引き継いだけれど、檀家の方たちに可愛がってもらい、支えられている。」と言われる優しい笑顔の中には、若さと柔軟な心と同時に、今の吉祥院の一時代を背負っておられる強い決意が見えてきます。

吉祥院の境内は、開山当時、四町四方(約1万2千坪)もの広大な敷地があり、現在の三次中学校あたりに山門があったそう。
その後歴史が過ぎゆく中で、三次浅野藩の初代藩主浅野長治によって鳳源寺や妙栄寺が吉祥院の境内の中に建てられ、吉祥院は、浅野藩の武運長久を祈念する祈祷寺とされました。

本堂は戦前に崩され、天保8年(1837年)天皇の命により座布団石に十六菊花紋の刻印を許された「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が本堂の跡地に移されています。その後戦争が始まり、本堂の再建が叶わず、仮本堂としていた場所がそのまま現在の本堂になっています。
本堂の中には、凛とした姿の弘法大師の像が中央に構え、仏具などからも歴史と風格を感じます。

お寺には、空海が書いた書物と、菅原道真の直筆の人物像がお寺の宝として守り続けられています。
三次町を舞台にした江戸時代のもののけのお話が記された稲生物怪録(平田篤胤)の本も所有され、三次町の歴史の宝が沢山保管されています。

境内には、四国八十八箇所の霊場の砂が埋め込まれた階段があります。この砂を踏んでお参りすることを「お砂踏み」と言います。 その1段1段の砂を踏みしめ、立て看板に書いてある御真言を3回ずつとなえて最後の八十八箇所目の階段まで登ると、さらに斜面を上ることができ、そこに太子堂があります。これは、四国まで行けない人たちのために、お遍路をしたことと同じご利益があるようにと、作られた階段で、人々の信仰を長く支えています。

他には、水と緑がうるやかに光る泉に白寿観世音菩薩があり、ボケ封じ観音と呼ばれて多くの人たちにお参りされています。
「ボケ」は、ほうけてボケていることではなく、正しい心で正しい判断ができなくなったことを表し、そこから救ってくださる仏様とされています。

また吉祥院は、比熊山の西隣りに接する伽峨羅山(かがらやま)に1331(元弘元)年に弓矢の神として建てられた「伽峨羅神社(かがらじんじゃ)」を創立当時から守り続けています。天狗が棲むとされ、戦いの神様として崇められ、沢山の兵士たちが戦場へ行く前に祈願をしていたそう。この「天狗伝説」は今も語り継がれています。

1200年以上の長い歴史の中で、三次の移り変わりを見届けてきた吉祥院。仏様に手を合わせていると、歴史の人々に思いを馳せながらも、今を生きる私たちの為に、1200年もここに立ち続けてくれていることに、感動と安心を感じることができます。

Information

スポット名 真言宗御室派 結城山吉祥院
所在地 広島県三次市三次町1059
電話番号 0824-62-3682